
今年の初秋、猫を拾った。スーパーの裏の駐車場に置かれた段ボール箱の中に、小さな茶トラが1匹だけ入っていた。夜の9時、スマホのライトを向けたら、彼はこちらをじっと見て、細い声で鳴いた。うっかり目が合ってしまったのが、運の尽きだった。
翌日、仕事を半日休んで動物病院へ連れて行った。体重は2キロそこそこ。生後3カ月ほどだろうと言われた。「うちの子にします」と決めたその日から、私の生活は静かに変わっていった。いちばん変わったのは「旅行」だ。もともと私は、月に1回は1泊2日でどこかへ出かけるタイプだった。それが今は、家を空けるのはせいぜい半日。次の大型連休の計画は、全部白紙に戻っている。
猫の留守番の「限界」という数字
きっかけは、たまたま読んだ記事だった。猫が一匹で過ごせる時間の目安について、アメリカの獣医師の話によると、8〜12時間が目安で、最高でも24時間だという。自動給餌器を置いたとしても、誰も来なければ水は汚れるし、トイレもすぐに満杯になる。1日を超えて誰も来ない状態は、さすがに無理があるらしい。
理屈は分かる。むしろ、私はこの数字を見て、なぜか安心した。自分が「猫を放っておけない」と感じていたことが、独りよがりの過保護ではなかったと分かったからだ。1泊2日の旅行を「できない」と考えるのは、私のわがままではなくて、動物を扱う専門家の基準と一致していた。この確認が、少しだけ胸を軽くした。
ただ、安心した一方で、引っかかりも残った。留守番できる時間に「限界」があるなら、それを超える選択をするとき、人間はどうすればいいのか。とくに一人暮らしなら、頼れる人は限られる。この問いは、私の中でなかなか消えなかった。
「猫は1匹で大丈夫」は本当だったのか
「猫は自立している」という言葉を、何度聞いただろう。世話がいらない、1匹でも平気、一人暮らしに向いている。私も飼う前は、本気でそう思っていた。実際、仕事に出ている間、彼はソファで丸くなって昼寝をしている。帰宅すれば玄関まで来て「おかえり」と鳴く。とても順応しているように見える。
ところが、留守番カメラを置いて出かけた日、そのイメージは崩れた。私が家を出た瞬間から、彼は玄関の前に座っていた。1時間後も、3時間後も同じ場所だ。餌にもトイレにも行かず、ただドアをじっと見つめている。帰ってきた私に、彼はいつもより長く、大きな声で鳴いた。あの日、私はようやく気づいた。
猫は留守番が「できる」。けれど、それは「平気」とは、全然違う。
「できる」と「平気」は、別のものなんだ。これは人間にも当てはまる気がする。仕事のできる人と、心から楽しめている人は、必ずしも同じではない。会議をこなし、予定をこなしていても、心はどこか別の場所にあることがある。私はこの猫の姿に、自分の「大丈夫」という言葉の軽さを思い出させられた。
猫は犬より「手がかからない」と言われる。確かに散歩はいらないし、しつけも最小限だ。でも、それが「好き勝手に生きていて、人間に依存しない」とは別の話だと、飼ってから分かった。彼は自由気ままなようで、私の帰りをいつも待っている。この矛盾が、たぶん猫という生き物の本質なんだと思う。
それからというもの、私の帰宅時間は、以前よりずっと規則的になった。残業で終電近くまで会社にいる日は、家で彼が待っていると思うと、自然と手早く片付けられる。夜の飲み会に「猫がいるから」と断れるようになったのも、意外な副産物だった。誰かに必要とされることが、こんなに心地いいとは思わなかった。
2泊3日の出張を「日帰り」にした話
この秋、2泊3日の出張が入った。以前の私なら、前日からワクワクしながらホテルを検索していただろう。今は違う。最初に浮かぶのは、猫のことだ。2泊3日は24時間を超える。つまり、誰かに頼むか、預けるかしかない。
頼れる相手は、遠くに住む実家の母しかいなかった。「猫を連れてきなさい」と言われたが、彼は知らない場所が大の苦手だ。車に乗るだけでも震えている子を、3時間かけて連れて行くのは現実的じゃない。ペットホテルも考えた。しかし、初日の面談で、預かる間はケージの中で過ごすと聞いて、私は断念した。
結果、私は出張を「日帰り」に組み替えることにした。朝の新幹線で現地に入り、打ち合わせを前後に詰め込んで、終電で帰る。ホテルは使わない。取引先には「急用ができて」と頭を下げた。
当日は朝5時に起きた。彼にごはんを多めに置いて、トイレをきれいにして、玄関のカメラを確認する。駅へ向かう電車の中で、何度もスマホの画面を開いてしまった。打ち合わせの合間に見る映像の彼は、昼間は意外と普通に寝ていて、それにまた安心する。終電の新幹線の中で、一日分の疲れと「あと少し」という気持ちが同居していた。
正直、めんどくさい。体力的にも、以前よりキツい。でも、帰宅して玄関に駆け寄ってくる彼の顔を見ると、この選択は間違っていなかったと思える。旅先の夜に、留守番カメラの映像で彼の寝顔を見る安心感は、一人で過ごす自由な夜よりも、ほんの少しだけ重い。帰る場所がある安心と、どこへでも行ける自由は、天秤にかけると案外、同じくらいの重さなのかもしれない。
自由を手放して、帰りたい理由を拾った
猫を飼ってから、私は「どこへでも行ける自由」を手放した。飛行機に乗るときも、最終的に考えているのは帰りの便だ。だけど、その代わりに、家に帰りたいと思う理由を、ひとつ手に入れた。どちらのほうが大きいかは、まだ分からない。分からないけれど、今夜も彼は、私が帰るのを玄関の前で待っている。
猫を飼っている皆さんは、家を空けるとき、どうしていますか。ペットホテル派? それとも、私みたいに予定そのものを変える派? 留守番の工夫があったら、よかったら教えてください。





